最近夏らしくなってきて、毎年の如く「暑くね?」が口癖になりつつあります。
瀬川です。
写真は、今年2月に行ったインドネシア社員旅行のフィルムを現像したら、とても楽しそうな写真だったので載せておきました。
せっかくなんでいっぱい載せときます。↓
前回のブログでは谷口さんの代打で急遽書いたので、今回書くブログが正しい周期で回ってきた僕の番ということになります。
突然ですが、二週間ほど前に姉の子供が産まれました。
初めての甥っ子ができて、休みに会いに行くのを楽しみに思っていた前日、仕事中に足にデカめの丸太が墜落。
筋を損傷し、行けませんでした。。。
常に浮かれず、慎重に仕事を遂行していかねばいけないな。と反省しました。
甥っ子の話とは全く関係ないのですが、
前の会社で出席した打ち合わせで「緊張した現場にいるけど、僕は新米すぎて発言する権利を与えられず、何もすることがない」という状況に鉢合わせた事を思い出したので、その話をします。
僕は真面目な顔をしながらも、その場に滞在する必要があった為、【何でもないこと】を考えることに決めました。
そして、目の前にもあったテーブルの小口(端の部分)について考えることとしました。
そのテーブルの小口はアルミのエッジで巻かれていたのですが、既に燻んでいて、細かい傷がたくさんついていました。
きっと、このアルミは最初はピカピカの状態であったが、様々な人がこの端にカバンやら腕時計をぶつけてこの仕上がりになったんだろうな。と考察しました。
こういった仕上がりって内装でもよくあって、あえて経年した様に木材を仕上げたり、コンクリートも既存の躯体の荒々しい部分を残したりします。
多分ファッションや、その他のジャンルでもそういった事があるのではないかと思います。(ダメージジーンズやエイジング加工など)
経年されたものの良さというのは、新品の物より使い古され、その使い古されるまでのストーリーを想像し、その歴史そのものが"価値"に変わったのだろう。
そう考えると、歴史や時間をのせられた商品って、新品よりも価値が高いのかもしれない。。。
そんな事を考えてるうちに、テーブルの小口は僕にとって【何でもないこと】ではなくなっていました。
そして気づいたことは、きっと世の中に【何でもないこと】はないという事です。
誰かにとって【何でもないこと】は、何処かの誰かにとっては大事なことかもしれませんし、
一見自分とは関係のないような事も繋がりがあって、結局全てのことはどこかで繋がっているのかもしれません。
という事を考えていたら、その打ち合わせは終了していました。
僕は誰よりも真面目な顔をしながら、その打ち合わせに出席していたと思います。
それではまた〜。